堀江氏
9年間です。最初は、母から無理やりやらされてました。でも、今思えば感謝しています。
吉野
と言うと?
堀江氏
バイオリンを長くやっていたお陰で物事を続けていくというのが、さほど苦ではないんですよ。
始めたのは幼稚園の頃からですから訳も分らずにやっていました。でも、いやいやながらやった事でも、長いことやっていると習慣になってきて嫌ではなくなるんです。この「続ける」という事が、菓子職人には、とっても大切なことなんです。
吉野
菓子職人になったキッカケというのは何ですか?
堀江氏
最初は、板前になりたかったんです。
高校時代に始めてバイトした所が天ぷら割烹の店だったんですが、そこの女将さんがきれいな方で、着物を着ての立ち振る舞いがとても上品だったものですから、憧れもあって、料理を作るという仕事に興味を持ったんです。
吉野
では、板前になるつもりだったんですか?
堀江氏
はい、高校を卒業してからは板前を目指して大阪の辻調理専門学校に行きました。ただ、両親は、反対でした。
父は普通のサラリーマンだったんで料理店で働くという事は、イコール「水商売」という印象を持ったんだと思いますが、最後には、認めてくれました。学校には、無遅刻無欠席で通いました。
吉野
やる気満々だったんですね。
堀江氏
「和食の職人は、10年が修行」だとか「厳しい世界だ」とか聞いていたので、自分なりに頑張らなければと思ったんです。
吉野
卒業後は、どいいう経緯でお菓子業界へ行かれたのですか?
堀江氏
ほんのささいな事がキッカケになったんですが、就職活動で銀座の寿司店に面接に行ったんですが、手土産に、ちらし寿司とケーキを持たせていただいたんです。
帰ってケーキを食べていたら、「洋菓子職人という世界もあるんだ・・・」と、ふと思ったんです。
板前に憧れていたのは確かなんですが、時代の空気が「和」よりも「洋」のような感じがしたんです。
そして、外国から入ってきた新しいものというイメージのあったパティシエという道に新鮮な魅力を感じたんです。
随分悩みましたが、洋菓子へ方向転換しました。
吉野
卒業後は、どこに行かれたのですか?
堀江氏
神奈川の葉山にあるフランス茶屋です。
吉野
フランス茶屋での仕事は、どうでしたか?
堀江氏
横浜の中華街にある工場勤務だったので寮生活でした。一人一部屋という快適な環境ではなく、2段ベッドでの集団生活です。
朝5時から夜遅くまで働きました。
休みは、週1回だけで、相当きつかったですけが、他の職業と比べる事もなかったので、それが当たり前だと思っていました。
吉野
職人の世界って感じですね。
堀江氏
そうです。職人の世界は、体育会系ですよ。
元気よく挨拶する事から始まって、上司や先輩には、「はい」と大きな声で返事をするというのが基本でした。
自分なりに先輩たちが今何を求めているかを察しながら動いていたので、朝は先輩にお茶を入れたり、雑用も嫌な顔をせずにやってましたね。けっこうかわいがられていたと思います。
吉野
殴られたりとか道具が飛んできたりとかありました?
堀江氏
ありました。ただ、私たちの仕事は、毎日真剣勝負なんです。
お客様の口に入るものを作って喜んでいただくことは私達の仕事の基本ですから。
吉野
なるほど。お客様が一切の基準ですね。
堀江氏
そうです。お客様を第一に考えないといけないんです。
どんなに忙しい時にでも「お客様の口に入るもの」という根本的な事をおろそかにした場合には、きちっと教えてあげないといけないと思っています。自分で店を持った時にとんでもない事が起こってからでは遅いんですから。
吉野
フランス茶屋は何年勤務されたんですか?
堀江氏
4年半です。
吉野
では、その後は、どうされたんですか?
堀江氏
実は、菓子職人への気持が冷めてしまったんです。
吉野
どういう事ですか?
堀江氏
フランス茶屋に入る前から、自分で洋菓子店を開きたいという気持ちはあったんで、早く一人前になりたくて一生懸命頑張ってきました。
それに、フランスに行って菓子の勉強もしたいと思っていたんですが、給料も少ないし、本当にフランスに行けるのか?店が持てるのか?という迷いっていうか疑問が沸いてきたんです。
こんな気持ちじゃだめだな〜と思う毎日が続いて・・・。
前みたいにお菓子作りに情熱が持てなくなってきて菓子職人やめようと思ったんです。
吉野
本当に菓子職人やめたんですか?
堀江氏
はい。父の会社に入り、サラリーマンをやりました。これでいいんだと思って新しい職場で心機一転頑張ろうと思ったんです。
ただ、サラリーマンをやってても色々悩みました。
今まで菓子職人目指してがむしゃらにやってきた事を思い出しては、それを打ち消して仕事を続けました。
20代って将来の事に悩む頃ですから、色んな葛藤がありました。でも、最終的には、やはり菓子職人が性に合っているんじゃないかと思ったのと、どうしてもフランスに行ってみたいという気持ちが抑えきれずに、3ヶ月で会社を辞めました。
吉野
なるほど。菓子職人になるという気持が改めて固まったんですね。
堀江氏
はい。父や会社の方々には、本当に申し訳なかったと思っていますが、他の仕事をしてみて、自分には、菓子職人しかないと思いました。
もう迷いはなかったです。
吉野
それから、どうされたんですか?
堀江氏
フランス茶屋の先輩の知人が銀座和光のルショワにいらっしゃったんで、そこに入れていただきました。
フランス茶屋では、プリンやシュークリーム、ショートケーキなどの親しみやすい洋菓子だったんですが、和光では、銀座という土地柄もあるとは思いますが、色んな素材を使ったより手の込んだフランス菓子が中心だったんです。
ですから、材料を含めお菓子に対する考え方が違っていました。
その全てが新鮮で、日本の中心でお菓子を作っているという感動の毎日でした。
それに銀座という町は、フランスなどの情報や素晴らしい素材や材料が集まってくる場所でもあったし、和光の先輩にもフランスで修行していた人もいましたから、フランスがより近くなってきたなという思いはありました。
吉野
ついに、フランスですね。
堀江氏
はい。和光で2年半働いて、フランスに行きました。
吉野
言葉には、苦労されました?
|